塩ブログ

塩といいます。猫と本と音楽が好きです。

友達について考える

しばらく梨の礫だった友人から急に連絡がありました。

え?

今までスルーだったのにどうした??

 

 

遠方の友人だったのでコロナ禍で会えないのは当然なのですが、返信も無いとさすがに察しません??

ちなみに最後の連絡から季節二つ変わってからの返信でした。

確かにまめな方ではないけど、連絡の内容的に既読スルーと捉えられるものだったので私もそう理解していました。

それか時間軸が私と相手とで違うのかな??

まぁ冷静に、私が相手にとって二番手であり、たまに会う分には都合が良いということなんでしょう。コロナの出口が見えてきた昨今になって存在を思い出したというところかな。

 

 

こういう人を切るか切らないか問題って結構ありません??

微妙な距離感を保つしかない、人間関係って本当に複雑…

でも人ってただ連絡があれば、会いに来てくれれば嬉しいわけではなく、そこに心がこもっていると感じるから嬉しいんですよね。

それが見抜けるくらいには私も歳を取りました。

コロナ禍だからと蔑ろにした関係を今さら修復しているの?というのが本音です。

ただ、そこで関係をすっぱり切るのも若い考えかなと思います。

適度な距離で様子を見る、必要ならばこちらも相手を利用させてもらうことも厭わない。

そのくらいの狡賢さがあっても許される年齢になったと思うんですよね。

それが友人なのか?というのはそれこそ若さから来る疑問なのかなと思います。

真心のある人間ばかりではないことを知っている私からすると、友人という言葉の幅広さをこれからの人生で肌で感じて頂きたいです。

あ、もちろん真心のある友達の方が良いに決まってますよ???

 

 

そんな訳でちょっとモヤりましたが適当にこなさせて頂こうと思います。

こんな打算が働いても相手が嫌な気持ちにならないよう笑顔で対応していける、それが大人です。

でも、大人は今後の関わりの中で関係が変わっていくことも知っています。

人間は不完全でいつまでも未完成なもの。

人生の終盤になってもまだ分からないんだろうな。

別の誰かから見たらダメダメだろうと、自分だけは自分に胸を張れる人になっていきたいものです。